まじでのうのうと生きてきた。
進路で悩んだり、
モラトリアム長引かせたり、
毎日脳死で会社に行ったり、
意味のない転職くり返したり、
現実逃避で海外行ったり、
資格に大金はたいたり、
残高尽きたり、
恋愛で沼ったり、
SNS中毒になったり、
自分探しとかしたり、
上がったり下がったり上がったり下がったり。
それでいいんだ、うまくいくときもいかないときも自分の納得のいく選択をしてきたから後悔のない人生を送ってきた。自分を満たすことができていた。
自分しか見ていなかった。
社会とか全然分からなかった。
自分のいる位置とか、自分の大きさとか。
世界と私とは切り離されたものだと思ってきた。
自分のお気の召すままに気持ちよく駆け抜けてきた。
自分がどれだけ世界に影響を受けていて、世界がどれだけ自分に影響を及ぼしているかに気づいたのはときはもう30歳だった。選挙なんて行ったことない。
いつも夢とか野望とか残高とか容姿とか恋人とか甘いもんとか、そういうことが頭の中を何周も駆け回っていた20代は自分以外のことなんて考える余裕もなかった。
政治とか国際情勢とか気候変動とか紛争とかなんとかかんとか。
そんなのは自分事の範囲には入り得なかった。
30歳。
お金も貯まって結婚もした。
やわらかな適温の中でぬくぬくと過ぎる毎日の中でやっと自分以外のものに目を向けることができた。
世界に、自分に愕然とする。
動物好きだと思っていた自分が急に恥ずかしくなった。
おびただしいなんてものではない数の犠牲の上に私の人生や生活は成り立っていたのだ。
写真やイラストになってまでも動物たちはいつも何年も私を癒してくれていた。
私の知らないところでその実物は蹂躙され続けてきたのに。
そして漏れなく私もそれを消費する側だった。
何も知らなくてごめん。
何もできなくてごめん。
こんな生き物でごめん。
視野には入っていたかもしれない。
でも自分のことしか考えたくなくて体よくそっと視野をずらしていた。
金ができて暇ができた。そして心の余裕や頭のスペースができた。
認めたくはないけれど、結果的にそうまでしないと今まで目を背けていた悲惨な光景と向き合うことができなかったのだと思う。
自分のことばかりで自分以外のことを憂いたりできなかった。
というより他者よりも大事な自分を憂いたかっただけかもしれない。
もうそんなことはどうでもいい。
ここまで余裕がないと他者に手を差し伸べられる自分になれないなんて、と感傷的になってる暇はない。
何かしなきゃ、何かしなきゃ。
こんなにまだ若くて健康でお金もあるのに家でぬくぬくしてるだけの日々なんて今の私には無理だ。
インターネットという便利なものだって使えるんだ。
なんにもない、なにもできない私。
どうせこれからもこれまで通りのらりくらり生きるであっただろう私。
でもこんな私でもできることはゼロじゃないはずだ。
というよりゼロになんかしちゃいけない。
救うとか助けるとかそんなことは言えない。
罪滅ぼしみたいな自己満足かもしれない。
でもこれからの人生は彼らの苦しみを減らすために頭や手足を使っていくことがせめてもの償いになるんだと思いたい。
何十年何百年かかるかなんて気の遠くなること考えていられない。
無駄かもしれないなんて考えていられない。
私にとってのはじめの一歩をようやく踏み出した。